特攻!MISTERY−SPOTS.



五郎の首掛け石(熊本県)




今回は日本3大名城の1つである熊本城の敷地内にある首掛け石に行って来ました。

首掛け石の由来はこう書いてありました。

天草一揆が勃発した時、加藤清正に命を奪われた父の仇を討つために

五郎は熊本城築城の際、人夫を装い加藤清正の命を狙っていた。

築城の際五郎が城へ、この石を首に掛けて運んだ事から

五郎の首掛け石と呼ばれた。

ある日、五郎は城内で井戸を掘っている最中、加藤清正の命を狙っている事がばれて

その井戸に生き埋めにされて絶命し首掛け石に生首を置かれ、

さらし首にされたそうです。


それではご覧下さい。


探索状況

同行者・・・・・・・・・・・・・単独
特攻POINT・・・・・・・・・正面昼間
装備品・・・・・・・・・・・・・デジカメ・三脚





熊本城に到着しました。

加藤清正が隈本を熊本に改めたそうです。












しかし広い敷地です。

西南戦争で城は焼け落ちましたが、薩摩軍は占領出来なかったそうです。












公園化されて綺麗です。

加藤家の後は細川家が幕末まで支配していました。












やっと城壁にたどり着きました。

本当に広いです。












城の入り口です。

西南戦争の時は沢山の方が戦死されました。












熊本城天守閣です。

この周りに首掛け石と井戸があるはずですが・・。












ありました。

早速行ってみます。












これが首掛け石です。

切り込みに生首を乗せたんでしょうか?












そばに井戸がありました。

ここで生き埋めにされたそうです(城内係員談)












中を撮影しました(明るさ補正してます。)

底に何か見えるのですが・・・。













夜に来たら怖い場所でしょうね

ちなみに夜は立ち入り禁止です。






今回の感想

熊本は福岡から近い事もあり時々遊びに来てました。

熊本城内に生き埋めにされた井戸があるとは・・・・・・

加藤家の後に入った細川藩の子孫は・・あの細川元首相だそうです。

聞いて驚きました。

これで五郎の首掛け石の特攻レポートを終わります。



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